Zero-Alpha/永澤 護のブログ

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EMD1

築地6


2004.10
EMDR(眼球運動による脱感作と再処理:Eye Movement
Desensitization and Reprocessing)によるPTSD治療への
シングル・システム・デザインの応用における問題点

はじめに
 本論の構成について以下に述べる。まず初めに、本論においてシングル・システ
ム・デザインの応用を考える「自分が現在行っているソーシャルワーク実践」の
具体的な事例についてその概要を記述し、事例のアセスメントを行う。アセスメ
ントを行うことによって、本事例に対するシングル・システム・デザインの応用を
具体的に考えることが可能になる。アセスメントの枠組は、以下のように設定す
る。(1)ターゲットとなるクライエント・システムは何か (2)介入の対象とすべき
問題は何か (3)介入目標及び介入計画または介入方法 (4)介入目標の達成基準、
以上である。(注1) 次に、上記アセスメントの枠組において、本事例に対してシ
ングル・システム・デザインがどのように応用できるか、また、応用にどのような
問題点があるかを論じる。
本事例の概要及びアセスメント
1.事例の概要
A子は通信制高校を卒業後、*年4月に****に入学したが、授業が4月半ばに
開始してほどなくして欠席が続くようになった。担任が電話で事情を聞くと、ク
ラスのメンバーとのコミュニケーション上の問題があり、もう行きたくないとのこ
とであった。あらためてHRで話を聞くと、本人は小学校時代よりしばしばいじめに
遭い、中学入学後いじめが原因で不登校になった。その後高校に入学したがここで
もいじめに遭い、一年後に中退した。その後通信制の高校に再入学し卒業した。
しかし、入学後クラスの他のメンバーとコミュニケーション上の不具合を経験し、
クラスの他のメンバーと上手くやっていけそうにないという。本人の話によると、
本人は主治医から「いじめによるPTSD(心的外傷後ストレス障害)」の診断を受け
ている。但し、現在も通院しているかどうかは不明である。なお、本人によれば、
「父母はいない」(死別か否かは不明)とのことで、現在叔父に養育されているが、
叔父との関係は悪いものではない。(注2) また、現在の方向性は必ずしも本意では
なく、現在の状況は5月以来の週6日のアルバイトを経て、*月**日の本人との
最後の電話連絡において「コンビニに就職した」ということであるが、具体的な
契約条件や就労形態は不明である。担任は、これまで副担任と所属長と連携して
本人との電話連絡・面談を何度か継続的に行ってきた。その上で、今後の方向を
明確にするため本人の気持ち・志望を書いたものを持参させて改めて話し合う
ことを本人と約束したが、その後夏期休暇中本人との連絡は不通であった。また、
ようやく*月**日に本人と電話で連絡が取れ、本人、担任、副担任の三者での
面談日を予定通り行うことを確認したが、本人は予定日に事前の連絡なく来校
しなかった。その後本人とは**月*日現在まで所在不明であり連絡が取れない
状態(電話不通)が続いている。
2.事例のアセスメント
(1) ターゲットとなるクライエント・システムは何か
システム論的には、教育機関という選択肢もあり得るが、シングルシステ
ムデザインの応用に適合する「クライエント・システム」(以下「クライエント」
と表記)としては、本論ではA子を選択した。但し、本事例においては、今後A
子とのコンタクトが回復する可能性はかなり低いと考えられる。従って、本論にお
いてのアセスメント及びシングル・システム・デザインの応用に関する議論では、
必ずしもA子に対する現在進行形あるいは近未来の介入を想定したアプローチで
はなく、「クライエントに対して過去において(または継続的なコンタクトが可能
な状態で)どのような介入がなされるべきであったか」という視点が導入される。
(2) 介入の対象とすべき問題は何か
クライエントの言葉及びこれまでの観察から、過去において継続的に受けた「い
じめによるPTSD」の症状として、クラスの他のメンバーとのコミュニケーショ
ンに問題を引き起こしているといえる。クライエントは、今後またHRという社
会的な場において過去と同様の外傷的経験をするのではないかという恐れと不安
感が極めて強いと述べている。これが、学校という人間関係の場(主として授業
が行われる「教室」という社会的空間)に入っていくことそれ自体への障害とな
っている(PTSDの「回避」症状)。実際に、面談の中で過去の外傷的な経験を生々
しく想起するときに、瞬時に大粒の涙を流すといった典型的なPTSDの「再演(最
体験)」の症状を呈している。クライエントによれば、リストカット等の自傷行為
はないというがその真偽についての確証はない。少なくても担任・副担任に対し
ては、並はずれた攻撃性と依存性の悪循環(「極度の見捨てられ不安」)を感じさ
せる振る舞いといった典型的な「境界性人格障害(BPD)」的な症状は見られず、
人格の基底が欠損している事例とは一線を引けるとも考えられるが、数回の面談
のみの観察のみでは無論厳密には判断できない。PTSDの主要な症状は、要約す
れば「再演」、「回避」、「過覚醒」であるが、(注3) クライエント自身の言葉と上
述の観察事実から、クライエントがPTSDであると考えることには十分妥当性が
あると考える。また、反応性愛着障害(RAD)や双極性障害(BD)との重複も考えら
れるが(注4)、本論では、「問題」としてはPTSDに論の焦点を絞る。従って、本
事例における介入の対象とすべき問題は、「いじめによるPTSDに起因する学校
(またはHR)という社会的場へのクライエントの適応障害」であるといえる。 
(3) 介入目標及び介入計画または介入方法
現在、PTSD治療に対してその有効性が広く実証されつつある治療法として、
「EMDR(Eye Movement Desensitization and Reprocessing)」(眼球運動による脱
感作と再処理)(注5)が存在する。そこで、「クライエントとの面談でクラスの他
のメンバーとのコミュニケーション上の問題と主治医からのPTSD診断という事
実について聴取した時点」からの短期の(例えば3ヶ月後までの)介入目標として、
担任・副担任がクライエントへの働きかけを続けながら、クライエントに対して
EMDRによるPTSD治療が可能なライセンス保持者(注6)を確保し、クライエント
に対して同意の上継続的な治療を行う契約を結び、クライエントに対して少なく
ても1回のEMDR治療を行い、以後の継続的な治療(例えば週に1回の「EMDR治
療を含む面接」)へとクライエントを動機付けることを目標とする。その後、EMDR
による治療 (注7) を継続的に実施することにより、クライエントのHR・授業へ
の出席回数が増加し、クライエントがHR・学校へと安定的に適応することを長期
目標(例えば1年後までの)とする。
(4) 介入目標の達成基準
短期目標に関しては、クライエントがEMDRの治療を少なくても1回受け、その
後の動機付けにより、継続的なEMDR治療を受けることにクライエントが同意する
ことで達成されたとする。長期目標に関しては、クライエントのHR及び授業への
出席が継続的であるという意味において安定することで達成されたとする。
3.本事例に対するシングル・システム・デザインの応用及び応用における問題
点について
 本事例では、クライエントの不登校というPTSDの「回避」症状に対する介入方
法としてのEMDR治療の有効性測定・評価として、シングル・システム・デザイン
の応用を行うものとしている。その際、上記聴取の時点以降短期の間に改めてク
ライエントがPTSDであるか否かの専門家による診断を、DSM-4-TRのPTSD診断
スケールによって行い、さらに「出来事チェックリスト」(東京都精神医学総合研
究所)及び「出来事インパクト尺度 改訂版」(同)を行う。ベースライン
の設定に関しては、次の二通りが考えられる。EMDR治療による第1回目の介入前1
ヶ月間のHR及び授業への出席回数をベースラインとするか、または上記「出来事
インパクト尺度」の点数をベースラインとするかである。本論においては、上述し
たアセスメントの枠組に基づき、前者を採用する。
 次に、シングル・システム・デザインのタイプとしては、「ABAデザイン」を
採用し、A=介入前1ヶ月間、B=週に1回の「EMDR治療を含む面接」計4回1
ヶ月間の介入実施期間、C=介入B終了後1ヶ月間それぞれのHR及び授業への
出席回数を測定し評価する(出席回数は常時記録されている)。また、介入後、PTSD
症状それ自体の評価のため、「出来事インパクト尺度」による評価を行い以後の介
入計画の参考とする。なお、上記アセスメントの枠組に従い、介入B終了後(4回
目のEMDR治療後)のクライエントへの面接においては、「以後1ヶ月間クライエ
ントの様子を見守るが、これでEMDR治療自体が終結したわけではなく、原則とし
て今後も治療を継続する」という説明をしておく必要がある。
 次に、上記シングル・システム・デザインの応用における問題点について述べる。
既述のように、本事例においては、クライエントとの接触が不可能であるものの、
接触及び介入が可能であったと仮定して論を進めてきた。従って、実際に本事例に
対して介入し効果測定することができないという点は問題点から除外されている。
だが、本事例のクライエントに対する介入が可能であったと仮定しても、実際に介
入する者が測定するという条件を充足することの困難さという問題点、すなわち、
EMDRのライセンスを持ち、それによる治療効果が測定・実証された多数の治療経
験を持つという条件を充足することの困難さという社会的な問題点が存在する。
               【注】
(注1) なお、本事例において、アセスメントし介入すべき主たる対象を「クライ
エント・システム」(本論では以下「クライエント」と表記)と呼ぶ。また、本論
において採用するアセスメントの枠組は、2004年8月13日から15日及び8月20
日から22日に東京福祉大学において行われたヘネシー澄子教授による大学院社
会福祉学研究科通信教育課程スクーリング「社会福祉援助技術演習」における事
例のアセスメント演習で使用されたものである。
(注2) 但し、叔父は本人の所在を把握していず、本人と連絡を取れない状態にあった。
従って、現在、本人を含む家族システムとして機能しているシステムは存在していない
と考えられる。
(注3) 『DSM-4-TR精神疾患の分類と診断の手引』アメリカ精神医学会
医学書院 2003年 参照。
(注4) 双極性障害・反応性愛着障害・注意欠陥多動性障害の詳細な診断・鑑別基
準については、以下を参照。
Alton,John F.Correlation between Childhood Bipolar1 Disorder and Reactive
Attachment Disorder,Disinhibited Type.in T.M.Levy(ed.) Handbook of
Attachment interventions, San Diego:Academic Press,2000.(pp237-240)
(注5) 『EMDR 外傷記憶を処理する心理療法』フランシーヌ・シャピロ著
ニ瓶社 2004年、『EMDR症例集』崎尾英子編 星和書店 2003年 を参照。なお、
(注7)も参照。
(注6)EMDRのライセンスの詳細については、『EMDR症例集』崎尾英子編 星和書店
2003年のp.225-236を参照。
(注7) スクールカウンセラーは、力動精神医学を基盤としたオーソドックスな精神
分析療法を行っている。オーソドックスな精神分析療法は主として左脳の大脳皮質
言語野に働きかけるが、PTSD治療の効果には限界があると考えられる。これに対して、
EMDRは主として海馬及び扁桃核を中心とした大脳辺縁系における情動的・感覚的
記憶等の情報の再処理過程を再活性化させる。勿論、シャピロ自身が強調している
ように、排他的にEMDRのみを行うべきなのではなく、他の複数の方法を効果的・統合的
に組み合わせて治療するとされる。しかし、本論においては、スクールカウンセラー
による治療というファクターは、本事例のアセスメントの枠組におけるシングル・
システム・デザインの応用に関して排除する。EMDRと他の精神療法との関連に
ついては、前掲書『EMDR 外傷記憶を処理する心理療法』フランシーヌ・シャピロ著
ニ瓶社 2004年、『EMDR症例集』崎尾英子編 星和書店 2003年及び『トラウマティ
ック・ストレス PTSDおよびトラウマ反応の臨床と研究のすべて』べセル A・ヴァン
・デア・コルク他著 誠信書房2003年を参照。なお、シャピロは、EMDRの主たる
特徴に関して、以下のように述べている。
「ひどい心的外傷を経験すると、神経伝達物質やアドレナリンなどの変化によっ
て神経系統のアンバランスが生じるようである。このアンバランスのため生体シ
ステムは機能を果たすことができなくなり、その出来事の際のイメージ・音・感情
や身体感覚を含む情報は神経学的に混乱した状態のまま維持される。従って、ス
トレスに満ちた、興奮状態の形で保存されたもともとの情報は、内界や外界から
のさまざまな刺激が引き金になり続け、悪夢やフラッシュバック、侵入的思考など
の、PTSDの陽性症状として表出される。仮説として、EMDRに使用される眼球運動
(あるいは代替刺激)は情報処理システムを賦活する生理的メカニズムを作動さ
せる、と考えられる。このように情報処理が活性化され、促進される理由として、
以下の1~3を含めさまざまなメカニズムが提案されてきた。
1.クライエントが現在の刺激と過去の心的外傷の両方に同時に注意を向ける二重
焦点による情報処理の活性化と促進
2.種々の刺激によって引き起こされる神経発火の特異な効果、そしてそれが低電
圧電流と等しい役割を果たし、シナプス電位に直接的な影響を与える可能性の
示唆(中略)
3.リラクセーション反応によって引き起こされる解条件付け(中略)
それゆえ、外傷記憶を想起させながらEMDRを行うとき、我々は、クライエント
の意識と、情報が貯蔵されている脳のその部位との連結を刺激しているのかもし
れない。眼球運動(あるいは代替刺激)は情報処理システムを賦活し、良好なバ
ランスに戻そうとする。眼球運動の各セットごとに、我々は混乱した情報を、適切
な神経生理学的チャンネルに沿って、適応的な解決に至るまで、加速したスピー
ドで動かしていく。例えば、古い孤立し混乱した情報が、現在の適応的な情報(「父
が私をレイプしたのは私のせいではない」のように)に結びつき、解決に導かれる
かもしれない。EMDRの主要な仮説の一つは、外傷記憶の処理を賦活することが、
自然に解決を必要とする適応的な情報へと動いていくというものである」
(『EMDR 外傷記憶を処理する心理療法』p.35-36.

【主要参考文献】
『社会福祉実践の新潮流―エコロジカル・システム・アプローチー』 
平山尚他著 ミネルヴァ書房 2001年
『ソーシャルワーク実践の評価方法 シングル・システム・デザインによる理論
と技術』平山尚他著 中央法規出版 2002年
『ソーシャルワーカーのための社会福祉調査法』
平山尚他著 ミネルヴァ書房 2003年
『EMDR 外傷記憶を処理する心理療法』フランシーヌ・シャピロ著
ニ瓶社 2004年
『トラウマティック・ストレス PTSDおよびトラウマ反応の臨床と研究のすべ
て』べセル A・ヴァン・デア・コルク他著 誠信書房2003年
『EMDR症例集』崎尾英子編 星和書店 2003年
『課題中心ケースワーク』W.ライド/Lエプスタイン著 誠信書房 1979年
『エコロジカルソーシャルワーク』カレル・ジャーメイン他著 学苑社1992年
『課題中心ソーシャルワーク』マーク・ドエル/ピーター・マーシュ著
中央法規2002年
『ソーシャル・ケースワークー問題解決の過程』H.H.パールマン著
全国社会福祉協議会 1967年
『徴候・記憶・外傷』中井久夫著 みすず書房2004年
『心的外傷と回復』ジュディス L・ハーマン著 みすず書房1999年
『治療論からみた退行―基底欠損の精神分析』マイクル・バリント著
みすず書房1999年
『子どものトラウマ』西澤哲著 講談社 1997年
『境界例の精神療法』福島章編 金剛出版1992年
『心の傷を癒すということ』安克昌著 角川書店 2001年
『リバーマン 実践的精神科リハビリテーション』R.P.リバーマン著 
創造出版1999年
『追補 精神科診断面接のコツ』神田橋條冶著 岩崎学術出版 1995年
『「家族」という名の孤独』斉藤学著 講談社 2001年
『心の臨床家のための必携精神医学ハンドブック』
小此木啓吾他編著 創元社 1998年
『新版 精神医学事典』加藤正明他編 弘文堂 1993年
『DSM-4-TR精神疾患の分類と診断の手引』アメリカ精神医学会
医学書院 2003年
Alton,John F.Correlation between Childhood Bipolar1Disorder and Reactive
Attachment Disorder,Disinhibited Type.in T.M.Levy(ed.) Handbook of
Attachment interventions, San Diego:Academic Press,2000.(pp237-240)
William J.Reid & Anne E.Fortune.The Task-Centered Model in A.Roberts and
G.Greene,Social Workers'Desk Reference,Oxford U.Press.2002,101-104.
William J.Reid & Anne E.Fortune.The Task-Centered Model in A.Roberts
and G.Greene,Social Workers'Desk Reference,Oxford U.Press.2002,101-104.
*「精神医学」・「精神療法」等の雑誌掲載論文は省略した。



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